Essay

編むことについてだけの文章ですが、手芸の潜在的な意味について考えるきっかけになったもう20年以上前に書いた私的考察です。

1本の繋がっている糸の目の集積というイメージはまったくではありませんが、刺繍や織物にも通じるものがあり、私が感じているそのイメージは装身具が担ってきた古くからの役割に繋がるのではないかと現在は考えています。



「編む」という行為 

                                                   

私は編むことが様々な比喩的な意味も含めて深い内容を伴っていると感じている。それらの編むことそのもののなかにある無意識下の意味を考えてみたいと思う。


1)編むという言葉

編む技術とはテキスタイルの技術のひとつであるが、テキスタイルとは日本語では染織と訳されており、啓蒙書や解説書以外の染織工芸についての文献を見てみると、その言葉通りその内容は染物と織物についてがほとんどである。その中にかろうじて編むという言葉を見つけ出せたとしてもそれらは数える程しか見つからない。その少ないなかでも「編む」という言葉は小池一子が[ART OF KNITTING]の中で「織物はタテ糸とヨコ糸だが、ニットはいわばヨコの連続でつくる行為」と言い、また[スウェーデンの伝統手工芸]で「糸は針によってループ状にされる。そのループは互いにかけあわされるか、あるいは前にできたループに通される」2と説明しているように、一本の糸から構成され、それらをほどくとまた一本の糸に戻る、いわゆる編み物のことにここでは限定したいと思う。それは文献のなかに見られた「編む」とは籠を編む、マクラメを編むというものまで含まれており、これらは動作そのものを考えた場合、籠を組む、マクラメを結ぶと言う方が適切であって、ここまでを含めると、編むという動作の定義が曖昧になってくるからである。

テキスタイルのなかでもその研究対象としては蔭に隠れている、組む、結ぶまで含んだ「編む」技術のなかでいわゆる一本の糸からの編み物の技術は、文献を見る限り、よりいっそう隅に追いやられている様に思える。これは主に家庭のなかで、その仕事が近年の私たちの文化のなかでは主に女性によって行われてきたことにその理由があるように思われる。「ウールや編み物という女性的で、文化的にも低く見られていた素材と技法である手工芸の側面を一掃することによって否定的な先入観を克服できるか」とジェンダーの問題を取り扱っているローズマリー·トロッケルや、「文化的に女性の領分とされ、 (中略)一般の伝統工芸品と比べても、一段低い価値にしか認められていない」編み物と、「社会的に排除されがちな(中略)年配者に押し付けられたステレオタイプ」を重ね合わせた表現を行っているナオミ·ロンドンなどこのことに注目している現代美術家もいる のだが、まずは編み物が女性のものになっていった経緯をその歴史のなかに見てみたいと思う。


2)手編みの歴史

飯塚信雄著[手芸の文化史] 4によると、南米の紀元前2500年と推定されるプレインカの古墳から発見された副葬品の研究によって、織物以前に編み物の技術が知られていたとされている。ヨーロッパ圏においては、古代エジプトのコプト人の墓から紀元5世紀のものと推定される足先が二つに分かれた編みソックスが発見されているが、その後7世紀から13世紀にかけて編み物の技術はイスラム教の貿易ルートによってヨーロッパへ伝えられた可能性が高いとのことである。そして13世紀にはすでにパリに、その後イギリスやイタリアにも(手編みの)編み物工業組合が組織され、これらの組合員によって教皇庁の主クレメンス5世の編み手袋や、イギリスのヘンリー8世のニットのベレー帽、その娘のエリザベス女王の絹のニットのストッキングなどが編まれ、この頃には手編みが産業として社会に定着していたと思われる。つまり手編みが仕事として成立していたので、それらを女性が行っていたかどうかは定かではないが、少なくとも男性の仕事ではあったと考えられる。フランスにおいては、ルイ15世、16世の時代には、編み物も含まれる装飾美術手工芸は宮廷生活を彩る為のものだったが、フランス革命によっての一時的な衰退ののちフランスが王政復古されたときには、女性市民の生活のなかに編み物は定着しつつも、その後の産業革命のなかでの機械編み機の発明により、産業としての手編みは没落していった。しかしながら内職としての手編みは19世紀になっても行われていて、産業が未発達の地域ならば生活のために女性だけでなくまだ男性も家のなかで編み物をしていたことは 想像できる。しかし、イギリスで1872年に編み物を女性の学校で学ぶ必修科目として法律で定めたということは、編み物は19世紀の男性中心の世界のなかでの女性のたしなみとしての倫理的意味を持っていたのだろうと思われる。このような流れの中で徐々に手編みは女性だけが家庭のなかで家族の為にするものとされていったのではないだろうか。


3)家庭のなかで家族の為に編む

カジュアルな衣服として私たちの生活にも定着しているアランセーターはフィッシャマンズセーターとも呼ばれ、もともとガーンジーセーターと呼ばれるイギリスの漁夫が着る作業着と同じ起源を持つと[手芸の文化史]は記している。このセーターはイギリス東海岸からスコットランドの東海岸にかけて散在する漁港で働く漁夫の着ているもので、それらは漁港ごとにモチーフが違っていて、その模様を見ればどこの港町の漁夫かが分かるようになっている。さらにセーターの裾のウェルトと呼ばれている部分には着る人のフルネームかイニシアルが編み込まれていて、これは危険の多い近海漁業で船が難破し、乗組員が水死体となって発見された際にそれがどの港の誰なのか分かるようにするためであったとも記されている。漁夫の母や妻は、あらかじめ自分の息子や夫の死を前提としてセーターを編んでいた。まさに死の為のセーターだったのである。どんな思いで彼女たちは愛する人の帰りを待ちながら一目一目を刻んだのだろうか。もしかするとそれは持て余した不安を一目一目に託す作業だったのではなかろうか。それは祈りにも似た行為ではなかったか。

また、今では少なくなった習慣だが、子供を宿した母親はやがて生まれてくるであろう子供の為に小さな靴下やよだれ掛けを編んだものだった。その時間、母親はまだ見ぬ未来に思いを馳せ、不安と期待の入り交じった感情を編み目のなかに紛らわせていたのだろう。

「家庭のなかで家族の為に編む」とは、閉ざされた家のなかで家族を思うことであり、これは男性のなかにあるその時代の理想の女性像であると同時に、現実には家族を思いながら、思うがゆえの不安を紛らわせる祈りとも癒しとも言える行為だったのではないだろうか。


4)編んでいる時間

編むことはひとつの動作の単純な反復であるが、この反復自身は祈りの行為として頻繁に見ることができる。イスラム神秘主義のメヴラーナ教団による旋回舞踏もそうである。この旋回橆踏は太陽を回る天体の円運動を体現しようと、ひたすらにただ回り続けながら恍惚状態にまで達する祈りの行為である。

心を解放し、身体を束縛する編むという行為は瞑想であると現代美術家のオリヴァー·ヘリングは言う。もともと抽象画を描いていたヘリングはエイズを患い自殺した友人の死をきっかけとしてポリエステル樹脂のテープを用いた編んだ作品を発表してきた。編むという行為は友人の死を追悼し、悲しみを癒す時間を授け、その結果作品ができあがるのだと言う。それは祈りの行為となんら相違ない。

作家であり、精神科の医師でもある なだいなだ は編み物をしながら患者に対しての面接治療を行うのだという。タバコで間をとりながら会話をするように、編みながら間をとって患者の話を聞いていると聞く。(6) 治療者の役割はクライアントが回復の過程をすすむための容器として存在することではなかろうか-と心理学者の河合隼雄はその著書のなかで言っているように、神経科医にとって神経症を患っている者の話を聞くということは、患者のすべてを受け止めること、ただそれだけの時間で、ここでのなだいなだにとっての編み物とはできあがったたものには何の意味も持たないのだろう。ただただ編んでいる時間、患者の話を受け止め、受け止め切れない滲んでこぼれ落ちそうな、しかし決して落としてはならないいわばジグソーパズルのピースのようなものを編み目と共に刻み込みながらもう一度拾い上げているのではなかろうか。また患者にとっては編んでいる単調な反復のリズムによって言葉にまとまらない切羽詰まった感情をそのリズムで区切るように整理できていくのかもしれない。

編むという作業は気軽に始められるにもかかわらず、完全に身体は束縛されてまう。その反面、脳はほんの一部のみを拘束され、ほとんどの部分は自由に使える。しかしそれは完全な自由ではない、まるで独楽が回っているような、動いているそのものの力に任せられながらも、なにか大きな別の力に動かされているそんな時間なのではないだろうか。


5)編み物の構造と時間と存在

木田元著の[ハイデガーの思想] 8)のなかに私なりのあるイメージを読み取ることのできる部分がある。それは

ー存在は時間性であり、存在了解は時間性を場としておこなわれ、 (中略)その時間化はまず未来への「先駆」として生起し、そこから過去が「反復」され、そして現在は「瞬間」として生きられるー

と書かれている部分である。そのイメージとは編む行為そのものを見つめてみることである。まず1本の糸がある。その一番先端にひとつ、もしくはいくつかのループを作る。そのループの直後の、まだループになっていない糸をすでに編み目となりつつあるループに通しながら、新しいループを作る。かつてループだった編み目が1目1目積み重なり、編み物として残る。

編み物は時間のメタファーである。M·エリアーデがその著書[イメージとシンボル)"の中でも言っているように、糸は人間の運命(未来)の象徴であった。それはイーリアスのなかでの (アキレウスは)「生まれた際に、運命が麻糸で紡いでよこしたものを、すっかり受けることだろう」というところにも見られるし、ヨブ記4章の中での「彼らの命の糸は断ち切られる」という表現にも見られる。

糸は現在という一時の瞬間のループへの先駆としての未来の状態なのである。そして未来が訪れた現在というループは次々に過去という編み目に変わっていく。反復された現在が積み重なった編み目は編み物という存在として残る。未来(糸)は現在(ループ)に費やされること(すなわち編むということ)により過去(編み目)になる。編み物の構造は時間と存在の構造にとてもよく似ている。


6)[モモ]のなかに見られる編み物のイメージ


児童文学の名作ミヒャエル·エンデの[モモ] 10には機能優先の現代社会への風刺と、時間と存在についての哲学的な主題が多く含まれている。時間どろぼうの灰色の男達は人間から時間を節約させることによって時間を盗み、それらを葉巻にして絶えず吸いながら生き延びる。葉巻を失うと彼らは透明になって消滅してしまう。時間を持っていない者は存在できないのである。そしてそのなかで時間をつかさどるマイスター·ホラがモモに出したなぞなぞにも私は編むことのイメージを読み取ることができる。


三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。

ほんとはまるでちがうきょうだいなのに、

おまえが三人を見分けようとすると、

それぞれたがいにうりふたつ。

一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。

二番目もいないが、こっちはもう家から出かけたあと。

三番目のちびさんだけがここにいる、

それというのも、三番目がここにいないと、

あとのふたりは、なくなってしまうから。

でもそのだいじな三番目がいられるのは、

一番目が二番目のきょうだいに変身してくれるため。

おまえが三番目をよくながめようとしても、

そこにみえるのはいつもほかのきょうだいだけ!

さあ、言ってごらん.

三人はほんとはひとりかな?

それともふたり?

それともだれもいない?

さあ、それぞれの名前をあてられるかな?

それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。

彼らはいっしょに、ひとつの国をおさめている

しかも彼らこそ、その国そのもの!

その点では彼らはみなおなじ。


このなぞなぞの答えは、勿論、一番うえは未来で、二番目は過去、三番目は現在、ひとつの国とは時間のことである。これは一番うえはまだ編まれていない糸、家とは編み棒、三番目は編み棒にかかっているループ、そして二番目は編み棒からぬけおちた編み目というイメージにもとらえることはできないか。一番目が二番目のきょうだいに変身するとはまさに糸が編み物に変わることであり、ループとは編みつつあるその途中にしか現れない。時間が流れることと、編み進める行為は重なる。

そして[モモ]のなかにはこういった表現も出てくる。

「すると、もしあたしの心臓がいつか鼓動をやめてしまったら、どうなるの?」

「そのときは、おまえの時間もおしまいになる。あるいは、こういうふうにも言えるかもしれないね。おまえじしんは、おまえの生きた年月のすべてをさかのぼる存在になるのだ。人生を逆にもどって行って、ずっとまえにくぐった人生への銀の門にさいごはたどりつく。そしてその門をこんどはまた出ていくのだ。」

これは死を意味しているのだが、このイメージには編んだものがするするとほどけていくイメージに重なる。生きた年月とは編まれた一目一目であり、それらすべてを抜けていくことは時間をさかのぼることと似ている。ほどかれたものは最後にはきれいに無の状態に帰るのである。何もなかったかのように。


7)祖母の祈り

私の祖母は晩年、足を悪くし、一日のほとんどの時間を椅子の上で過ごした。私の記憶のなかの祖母は常に、絶え間無く編み物をしていたような気がする。彼女の作るセーターといえば、こったものなどは一切なく、模様編みなど論外で、ただのメリヤス編みで、袖ぐりの減らし目も一段で一気に減らしてしまうというごくごくシンプルなものだった。今から考えるとそれは作品を作ることが目的だった訳ではなく、セーターは一つの区切りの目安でしかなかったと思われる。一目一目を刻んでいくことそれ自体がその時の彼女に必要だったのではないかと思うのだ。(しかも彼女は好んで細い糸を使用した。)その位、やみくもに編み、編み終わったとたん次の題材を探していた。それはもはや自分の最期をどこかで予感し、死に向かっていくその時間の一瞬一瞬に自分の存在を刻印する為だったように思える。そしてそれは自らの存在への自覚なき祈りだったのかもしれない。


[参考·引用文献]

1 桑田路子著「ART OF KNI TTI NG」美術出版社

2 アンナ·マヤ·ニーレソ著 山梨幹子訳「スウェーデンの伝統手工芸」三一書房

3「世界を編む」展カタログ 横浜美術館 

4 飯塚信雄著「手芸の文化史」文化出版局

5 ガリマール社·同朋舎出版編「イスタンブール」同朋舎出版

6 gap 1999年7月号 ギャップ出版

7 河合隼雄著「ユング心理学の展開」岩波書店

8 木田元著「ハイデガーの思想」岩波新書

9 前田耕作訳「エリアーデ著作集第四巻 イメージとシンボル」せりか書房

10 ミヒャエル·エンデ著大島かおり訳「モモ」岩波書店